テニス

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私は現在テニス中心の生活をしています。所属している団体は日本シニアテニス連盟茨城県支部(ISTA)、日本ベテランテニス愛好会、日立製作所那珂工場テニス部OB会、日立ハイテク那珂テニス部、常陸太田アズマクラブなどです。特にISTAでは数年前から事務局長の仕事をしており、ISTA主催の大会の運営や連盟のとりまとめなどの仕事をさせていただいています。
写真は2012年6月に実施した日本ベテランテニス愛好会(JVTS)創立20周年記念大会時の集合写真を示します。
このページには、これら、テニスに関する情報を中心に投稿します。

テニス(投稿)

茨城県シニアテニス連盟会長就任

2019年1月

2019年1月

シニア連(東海)会員から頂いた花束と

シニア連(東海)会員から頂いた花束と

2019年度から茨城県シニアテニス連盟の会長を引き継ぐこととなりました。これまでいろいろのテニスサークルで活動してきました。しばらく前までの活動については、本ホームページの自分史、私のスポーツ歴にも記しました。これらの活動の中でも特に茨城県シニアテニス連盟(ISTA)では理事(事務局長)という立場で、全体の運営、会計から試合時のデータベース(DB)まで深く立ち入りました。特に試合DBは大会参加申込み会員の登録、年齢層別グループ分けなどによる組合せ、大会配布資料の作成、参加者の名札作成、大会成績の入力と成績集計、順位決定と表彰、大会後にホームページにアップする出力までをEXCELのマクロを使って構築しました。試合の形式もペア固定ダブルス、ペア変動ダブルス、ミックスダブルス、フリーダブルス、親善試合、オープン試合等おおくの場合に対応できるように、複数のDBをつくりました。いろいろ深く入り過ぎてしまったため、そろそろ引退して、また退職直後のように、テニスや農作業を楽しみながら、趣味の旅行や登山、写真、温泉等を楽しみたいと思っていましたが、なかなか後任が見つかりませんでした。

2018年になって事務局長をやってくれそうな方(早田さん)が見つかりましたので、この方にお願いして、私は引退するつもりでした。ところが丁度同じ時期に会長の高野さんも2期6年で会長を引退することとなり、ISTAの現状から会長と事務局長が同時に変わることは混乱を招くと判断し、私が会長として残ることとしました。お亡くなりになった元会長の佐藤暢芳さんから、生前テニス大会の帰りの車の中で、会長はお前しかないと言われたことも頭の隅にはありました。このような現状のため、私の会長は1期3年とし、この間に組織の若返りができるように運営したいと考えています。

ISTAの会誌(Love Tennis IBARAKI 7号)に掲載した会長就任あいさつを添付します。

会長就任あいさつ(ここをクリック→)ISTA会長就任挨拶(LTI7号)

2019年1月 廣瀬 博

2019年1月26日

ベテランテニス愛好会(JVTS)

ベテランテニス愛好会(JVTS)は2017年末にて解散(閉会)となりました。この会は故中島正周さんや菊池榮助さんが中心になり1992年に創立し、茨城県北のベテランテニスの中心的役割を果たしてきました。そこで使われていたコートは、我々は中島コート、と言っていますが、JVTSより6年早い、1986年に開設しています。このコートは東日本大震災にも耐えて、使ってきましたが、老朽化が激しくなっていました。これに加えて、設立時に活躍された多くの先輩がお亡くなりになりました。このような状況からコートオーナーを引き継いだ中島千香子さんは、ついにコート閉鎖宣言を出しました。発会以来中島コートでプレーした人は300名を超え、総使用回数は24635回・人となり、当初の目的を十分果たしたと考えられます。

発会以来解散までの間に参加した人の名前と年ごとに参加した回数をまとめたものを添付にて示します。これによると、最も多く参加した方は15年間で1328回になります。また1000回を超えて参加した方は4人おります。この表は会員がデビューした時期、リタイアした時期、病気になった時期、その他の人生模様を良く表しています。

参加者リスト発会-2017年

2017年12月29日

榮助さん

茨城県ひたちなか市に日本ベテランテニス愛好会(JVTS)というテニスクラブがあります。この会の創設者は菊池榮助さんですが、2016年11月28日にお亡くなりになりました。お別れ会には多くのJVTS関係者が集まり、お見送りをしました。後日、榮助さんの御長男菊池裕さんから以下のような相談がありました。父のアパートを整理しているとき、テニス関係のトロフィーなどが見つかったが、これをどのように処分したらよいか。JVTSのコートハウスに展示するものがあれば、展示しその他のものは廃棄するという内容でした。私はJVTSのコートハウスは中島家個人のものであるため、展示は好感されないと思い、私が写真などに収めて記録した後に処分しても良いのであれば、私のところに持ってきてくださいとお願いしました。

榮助さん(←ここをクリック)

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2017年5月26日